・3.11 2011 追悼てんかん市民の13年目の願誓い2024
毎年恒例となっている「3.112011・2024 ベーテルてんかん市民の誓い・こづみ郁子コーラスライン」。ベーテル3階体育館にて、2024年3月8日に開催された。
2011年3月に発生した東日本大震災は、ここベーテルにたいても大きな被害をもたらした。尊い命を落とされた患者さん達、計12名に哀悼の意を込めて、2011年から毎年続けているこづみ先生のコーラスの歌声と共に、このセレモニーを欠かすことなく継続している。
例年通りに、こづみ先生、梅森先生の美しいピアノの音色、歌声を聞き、会場に集まった患者さんやスタッフが黙祷し、献花を捧げる。今年は、ベーテル2階病棟とハンスパーガー協会、仙台駅前クリニックをオンラインで繋ぎ、同じ時、同じ想い、コーラスラインを共有することができる。
会場では、ハンスバーガー協会からの患者さん代表と、ベーテル職員代表の2人が、震災当時に見えていた情景、感じた想いを赤裸々に語る。そして海野室長から、震災時のベーテルの様子や通常の診療に戻るまでの奮闘した様子を、当時の写真やスライドを交えて話された。会場では、静かに涙を浮かべて聞き入る方々もいらっしゃった。
最後のDr ソガの話では、震災による患者さんへの影響は、地震以上に福島原発事故の影響が大きかったことが挙げられた。避難を余儀なくされ、ベーテルを離れざるを得なかった患者さんが多数いた。2024年1月1日に発生した能登半島地震の話にも触れられ、石川県の志賀原発では、たまたまにして原発事故が起きていないことが奇跡的だとの話があった。さらに現在では、このような震災を忘れているDrさえもいることに触れ、残薬を確保することの必要性が改めて訴えられた。
先にも触れたがベーテルでは、震災から 10年の節目を越えて、13年間欠かすことなく、3.11 追悼式を執り行っている。活気を取り戻し再建に向けて進む被災地もあれば、避難を免れず未だ地元で暮らせない方もいる。心のケアという話題も当初はよく聞いたが、年々薄れているように感じる。3.11も、今回の能登半島地震も、てんかんの患者さんはどのように乗り越えてきたのだろうか。日頃てんかんケアに従事する身として思うことは、てんかんを表に出さず生き続ける人は、どのくらい心細いか。てんかんをオープンにしてやっと社会に馴染んだ方が、また環境の変化に晒される不安や恐怖はどのくらい大きいか。またそれを見守り共に歩む、家族や支援者の心境、心労はどうか。「大きい天災が発生したから」ではなく、「それが復興し、終了したから」でもない。てんかんがあっても、病気や障害があっても困難を乗り越えて、同じ時を過ごし前に進むために、この教訓や人の繋がりから得るものを、伝え続けていく必要があるだろうと感じている。
(ベーテル神経心理士 阿部佑磨)